今でも心に残る列車・路線はありますか? もしこのような問いがあったら私は青函連絡船を答えの一つに加えたい。 青函連絡船は青森と函館を結んでいた鉄道連絡線だ。長きに渡り本州と北海道を結ぶ輸送の動脈として 活躍してきたが1988年(昭和63年)3月13日、青函トンネルの開業に伴いその役割を終えた。 父が北海道の出身である為、青函連絡船には幾度も乗船する機会に恵まれた。東京から北海道への主 たる交通手段が航空機に取って代わられてもまだまだ鉄道による渡道も一般的なものであり、そもそも一 家4人が飛行機で北海道入りするには運賃が高価すぎた。(現在では航空運賃の方が安いが) 青森を出港して約4時間、函館の街が見えた時の感動は一生忘れることはないだろう。上野から夜行列車 で一晩、連絡線で4時間、幼心になにか遠い異国の地に来たかのような錯覚を覚えたものだ。 そんな青函連絡船の中でも思い出深い船がある。羊蹄丸だ。以前の記録がないので何度か乗船したことが あるかも知れぬが最後に乗ったのが1986年(昭和61年)師走。中学生だった私は病床の祖父を見舞うため 一人で渡道した。祖父は余命数ヶ月を宣告されたのだが、その数ヶ月後においては悪名高き県下一斉テスト が実施される予定であったので事情を考慮した父が、祖父と会うのがこれで最後になるだろうと単身北海道へ と送り出してくれた。その時に出会ったのがこの羊蹄丸である。 上野から延々普通列車を乗り継いで青森駅に到着したのは日の変わる1時間数十分前。年末の帰省客で混雑 する待合室は皆長旅で疲れているのか以外に静かなものであった。 時刻が迫り船内に蛍の光が流れ、銅鑼の音が響くといよいよ羊蹄丸の出港。風情の中になにか物悲しさを感じ る青函連絡線の出発は独特の雰囲気があり、願わくばもう一度味わってみたいものだ。 深夜のため見送る人もなく、汽笛一声、そして静かに岸壁を離れた。いつもなら「旅」というシチュエーションに期 待感が高まるところであるが、今回の渡道の目的を考えると複雑な心境だ。雪混じりの風が吹く中、デッキに立 って真っ黒な海とその向こうに見える青森の街の光を眺めているとむしろ寂しさを感じる。 出港してから約2時間、行程の半分を過ぎた頃に大きな揺れで目が覚めた。網棚の荷物が落ちてくる程船体が 上下する。”冬の津軽海峡は荒れる”そう聞いたことがあったが正にその真っ只中にいるのである。立って歩くこ ともままならない。デッキへの扉は当然施錠されて小さな窓からは漆黒の外の様子は分からないが、ガラスに打 ちつける雪を見ると吹雪そのもの。激しく上下する客室内は意外と静まりかえっていて、グォーン、グォーンと力強 いエンジン音だけがこだまする。 初めて体験する時化。正直、最初は恐怖心があったが羊蹄丸のエンジン音を聞いていると次第に安堵感が湧き 上がってきた。これまでにも幾度となく荒れる海峡を渡ってきたであろう羊蹄丸。 「この船なら大丈夫」 上手く表現できないが、頼もしさを感じさせる船である。 4時25分、まだ真っ暗な函館港に入港。数時間前の荒波が嘘のような穏やかな海。下船時に見た羊蹄丸は堂々 としていてとても大きな存在に見えた。 |