三重県乗り鉄の旅
長津田 23:36発→東神奈川23:59着/00:04発→横浜00:07着/00:14発→名古屋05:19着/0555発→亀山07:05着/07:08発→伊勢市08:43着/08:48発→鳥羽09:04着/09:32発→松坂10:07着/11:27発→伊勢興津12:40着/13:23発→松坂14:39発/14:53着→亀山15:38着/15:41発→柘植16:05着/16:06発→草津16:45着/16:56発→京都17:15着/17:30発→近江今津18:37着/18:42発→近江塩津19:01着/19:06発→長浜 19:31着/19:40発→米原19:52着/19:55発→大垣20:28着/20:32発→美濃赤坂20:38着/20:47発→大垣20:53着/23:00発→横浜04:21着/04:36発→東神奈川04:39着/04:56発→長津田05:17着

いよいよ夏の青春18きっぷシーズン。今回は三重・関西方面のローカル線乗り潰しの旅に出た。
横浜0時17分発の夜行快速列車「ムーンライトながら91号」の乗客になる。この列車は、1996年に特急型車両、全車指定席にリニューアルされたがそれ以前は、車両も湘南電車のような狭い4人がけボックス席で単に夜行大垣行きと呼ばれていた。高校生時分に何度か夜行大垣行きのお世話になったが、日常生活・親の目から一種隔離されたこの列車にのる事が一つの楽しみでもあり、寝酒と称して初めて車内で飲んだビールの味は今でも鮮明に覚えている。それはとても苦くて飲めたものではなかったが、それでもこの行為によって自分が大人の世界に少し足を踏み入れた気がしてなんとも不思議な気分になったものだ。
早暁5時19分、名古屋着。やっと一番列車の動き出した時間でありホーム・駅舎とも閑散としいる。こんな名古屋駅を見るのも早々あることではないだろう。
名古屋からは関西本線に乗り亀山へ。そして紀勢本線の4両編成の気動車に乗り換える。ちょうど朝の通勤ラッシュに巻き込まれたカタチで、立ち客まで発生しローカル線には似つかわしくないほどの混み様だ。それでも三重県の県庁所在地である津に停車するや否や大部分の乗客は降車してしまい、本来のローカル線に戻った。単線をトコトコと走り、途中何度か追い越しや行き違いで停車して、多気に到着。ここから紀勢線に別れを告げ参宮線へと入る。
伊勢市8時43分の定刻に到着し、鳥羽行きに乗り換えたがもはや乗客は皆無に近く、並走する複線、電化された近鉄伊勢線の陰に隠れるように静かに終点鳥羽へ着いた。鳥羽は風光明媚な海洋観光都市でマリンレジャーや水族館、スペイン村等々、遊ぶには事欠かない街である。平日のせいか、時間がまだ早いせいか閑散としていたがリゾート地の雰囲気が伝わってくる。次回はカミさんと観光にくるのも悪くないなと思いながら先程の折り返し列車、快速「みえ6号」の車中の人となる。
来た道を戻り、途中の松坂で下車。松坂に来たからには松坂牛を、と思い駅前商店街を牛求めて彷徨うも開店時間には少し早い為あえなく断念。その代わりというわけではないが駅で松坂牛を使ったモー太郎弁当を購入し車内で食べる事にした。
11時27分発名松線「伊勢興津」行き。1両編成のディゼルカーに乗客はわずか4人。ところで路線名は始発と終着の駅名のそれぞれ一字をとって命名することが多々ある。「姫路」と「新見」を結ぶJR西日本の姫新線、「米沢」と「坂町」を結ぶJR東日本の米坂線などがその例だ。そしてこの名松線もご多分に漏れずこの法則で命名されている。「松」は松坂の「松」とわかるが、それでは「名」とは一体どこなのであろうか?名松線の終点は「伊勢奥津」なので「名」は無いのはもちろん、途中にも「名」がつく駅など一つも存在しない。名松線の「名」、実は伊勢奥津から直線距離で20Km程北西にある名張が正体だ。昭和2年に松坂と名張を結ぶ路線として松坂側から工事を始めたのだが、第二次世界大戦や近鉄大阪線開業等の影響で、昭和10年に伊勢奥津まで開業したのちその先は建設中止となってしまった経緯がある。
伊勢奥津〜名張は実現しなかった幻の線区であるが、路線名は今でも、〜いつか名張まで〜そんな希望があるかのように名松線なのである。
松坂を出て暫くは一面田んぼの広がる田園風景の中を進む。途中唯一の有人駅である「家城」(いえき)で上り線との待避があるが、現在では珍しいタブレットによるものであった。家城を過ぎると段々と沿線の風景はあやしくなり、人家もまばら、杉林の中を走ったり渓流沿いを走ったりと正にローカル線そのものの何者でもない。一両編成の列車でも感じ取る事ができる位の坂を登ってやっと終点の伊勢興津到着。松坂から1時間。降車したのは自分も含めて3人のみで、始発からの乗客は自分ただ一人だ。山の中の無人の終着駅。線路脇にある、蒸気機関車時代の朽ち果てた給水塔、名張へと繋がったかもしれない行き止まりの線路・・・。とても寂しい風景ではあるが、なんだか心安まる懐かしい風景でもあった。
何も無い駅前に出るとちっちゃな公民館があり、2人のお年寄りがちょうど出てきたところで「こんにちは」と挨拶してくださった。ただそれだけの事だが都会の生活になれた自分には非常に新鮮に思え、こんな終着駅も悪くはない、(経営的には厳しいだろうが)いつまでもいつまでもずっと名松線には走り続けて貰いたいと心から願い、折り返しの列車に乗って再び松坂へと戻った。


伊勢興津駅

伊勢奥津駅前

SL時代の名残。伊勢奥津駅の給水塔

伊勢奥津駅に置いてあるノート。皆さん、それぞれ名松線に対
する思い入れを書いていました。もちろん私も書いてきましたよ!

松坂から再び亀山へ出て、2分の接続で関西本線木津行きに乗り換えた。SLがまだ活躍していた頃の難所である加太を越えて、柘植で草津線に。山の中ののどかな駅に近郊型の長編成(とはいっても6両ぐらいなもの)電車が停まっているのは一種異様ではあるけれど、ここから1時間ばかりで京都へ出られる事を考えれば立派な通勤圏内なのであろう。終点草津で東海道線の新快速へ乗り継ぎ京都へ。京都から琵琶湖の西を走る
湖西線で琵琶湖北端の近江塩津まで出て北陸線に。琵琶湖を一周して米原へ着いた時はすでに20時半。家を発ってから20時間以上列車に乗っているので、そろそろいい加減疲れてきた。その後、大垣〜美濃赤坂の東海道線の盲腸線を往復し、大垣で銭湯にて汗を流し23時発のムーンライトながら92号で帰路についた。レールのつなぎ目の心地よい夜行列車の子守唄。なぜだか私の帰りを待っている妻の顔が早く見たくなった・・・。


モドル

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